今の日本では、経済で偉い人とは、経済で成功した人=資産をいっぱい持っている人 というのが、常識かも知れません。しかし、そもそも資産(以下簡単にお金という)は、社会の役に立つ為に使うものです。だって、お札はただの紙だから。
「一番有効に社会の役に立つようにお金を使える人」にお金を集中させる為に、「あまりそういう能力の無い普通の人」のお金を集めて、銀行はその能力のある人に貸し付ける。
結果、本当に能力のある人は、社会に役に立つので偉い訳なのです。その利潤は基本出資してくれた人に配当し、再投資資金を除いた利益は、消費喚起の為にも、本来、従業員の給与を増やすべきということになります。
原則、経済における成功者への報酬は「尊敬と名誉」なはずなのです。
まあ、多少は普通の人よりもらっても良いでしょう。
でも役員報酬が10億以上というのは、ちょっとね、、、です。
10億の金をその報酬を払う企業よりも有効に、社会の役に立つように使えるのが前提だからです。
ほんとに使えるのかよ、君に、、という感じです。
しかし、経済には、もう一人とても偉い人がいます。
それは「最初の贈与者」です。
人間と動物を分ける一つの基準が交換です。
でも、交換のその起源は贈与から始まったと言われます。まず「最初の贈与者」がいる。
贈与を受けた人は、その贈与者とは別の人に贈与する。
そして次から次へと贈与がパスされ、経済が動いて行くのです。
普通の人は;受けた贈与=与えた贈与とすると、事後的な等価交換です。損はない。
しかし、唯一「最初の贈与者」だけは、一方的な贈与者であり、それに釣り合うものは「名誉」しかないのです。
逆に贈与を受けながら、蓄蔵し、経済を動かさない人間。
このような行為は極めて恥ずべき行為とされていたようです。
マルセルモースの「贈与論」はこうした原初の経済の仕組みを示しています。
第二次大戦後、昔の国債も、地主の土地所有の証も、唯の紙きれになりました。
お金なんてそんなもんです。
SNSで自分を主張するのは結構です。
リツイートやシェアという仕組みにより、贈与された人が自分でコンテンツを蓄蔵せず、他人に再贈与し、そして最初のコンテンツ制作者には「お金」ではなく「いいね」が渡される。
経済の始まりの仕組みに合致するこの有り方にこそ皆が納得する秘密があるのです。
SNSだって、再贈与せず、蓄蔵するばかりの人は恥ずかしい行為と知るべきです。
困った人がいれば助けてあげる。これが、コンサルタントの使命です。
ならば、本来コンサルタントは問題を解決した人にこういうべきなのです。
「今度は誰かあなたの周りに困っている人がいて、もしあなたがそれを手助けできるなら、必ず手を差し伸べて下さい」と。
それが、経済の原則に沿った対応だからです。
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